それから

お久しぶりでございます。

世界一周の旅より帰国して、早や2年と7か月が過ぎました。

旅とともに完結したこちらの日記ですが、我々が現役で旅している間このブログを読んでくださっていた方々や、今まさに現役で世界一周していらっしゃる方々に対して、我々が今どのような生活を送っているのかご報告差し上げるのも、また一興ではないかと思い立って、久しぶりに日記を更新することといたしました。

 

1. 日本ヒッチハイクの旅 ~帰国直後~

 『日本ってヒッチハイクできるの?』という世界各地で出会った旅人からの問いに答えを出すべく、およそ2週間、日本をヒッチハイクで旅しました。予定ルートは、僕の実家から少し行った奈良県と京都府の県境をスタートし、金沢、白川郷、地獄谷温泉(サルが温泉に入ってるのが海外旅行者に人気)といった北陸・中部地方を巡るというもの。

出発前は『難しいんだろうな。』という覚悟をしてたんですが、結果、みんな驚くほど優しかったんです!中にはフェイスブックで連絡先を交換し、暫く経ってから会いに来てくれた方もいらっしゃいます。

夫婦で一緒にいたことも安心感を醸し出す要素だったろうし、一概に誰でも簡単に成功するとは言えませんが、当初の目的地にプラスして東京にも行けましたから、『日本でヒッチハイクはできる!』と胸を張って言っていいと思います。

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「世の中なんていい人が多いんだろう」というのがヒッチハイク旅の感想。どこに行ったかよりも誰に出会ったかの方が印象に残るそんな旅でした。

 

 

2. 働く ~ゲストハウス立ち上げに向けて~

 で、ここからが本題です。

 どれほど本気でそう言っていたか、と問われると、かなりぼんやりしたビジョンだったんですが、僕らは世界一周の旅に出る時から『帰国後はゲストハウスを経営する』と言ってました。

 ヒッチハイクの旅から帰ってすぐに、京都のゲストハウスに夫婦で別れて住み込み修行を始めました。

 創業地として京都を選んだ理由はたくさんあるのですが、強いて端的にまとめるならば、『世界一周して、自分たちが日本人であることをより強く意識するようになった』『日本人として海外の人に知ってもらいたい日本文化が、京都には凝縮されていると思った』からだと言えます。

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1年半旅行中はトイレ以外はずっと一緒でしたので、4か月別居することに。といっても毎日のように会っていたのですが。ちなみに住み込み中は広志郎さんの同級生で農家をやってはる清水さんの所へ農作業をお手伝いに行ったりもしていました。京都にてタケノコ掘り。

 

3. 運命の町家 ~物件との出会い~

 京都で創業を決めたからといって、すぐに自分が思うような不動産に巡り合えたわけではありませんでした。もともと京都は観光地として人気の街だったうえに、自分たちが世界一周してる間に『インバウンド』なんて言葉が編み出され、海外旅行客を相手とするビジネスを煽るプロモーションが始まっており、宿にできそうな物件は枯渇状態。手当たり次第に不動産屋さんに問い合わせては物件内覧に行って、素人だてら改装費を計算し、回転率をシミュレーションして事業としてやっていけそうか考える。そんな日々が3か月続きました。

 自分たちが納得し、なおかつ商売としてやっていけそうな物件になかなか巡り合えず、何度となく諦めかけました。もはや世界一周だとかキャリアだとか学歴だとか、見栄とか意地とかプライドとかも引きずってはいられない、日雇いでも肉体労働でも何でもいいから仕事を始めようか。そんな風に考え始めた6月の僕の誕生日、なんと一軒の町家の賃貸契約が決まりました。

 場所は、京都大徳寺の門前町。どんな旅行ガイドブックでも冒頭に載っているような観光寺院ではないけれど、織田信長を始めとする有名戦国大名を弔う塔頭がずらりと並び、特に茶道の開祖とも言われる千利休が眠るお寺、また茶道好き、詫び寂び数寄には聖地のように敬われるお寺の目と鼻の先で、しかも茶道と華道の先生が長らくお住まいとなり教室を営まれていた、という物件を借りることができました。

 あと、物件は『新大宮商店街』という、昔からある商店街に面しているのですが、これがまたいい雰囲気なんです。あくまで近隣にて生活する地元住民むけの商店街なので客引きは全然なく、リラックスしながら自分のペースでお散歩しつつ現地に暮らす人々の生活風景を楽しめる。これ、まさしく自分たちが世界一周中に一番楽しんでたことなんですよね。トルコはイスタンブールの繁華街よりマラテヤの市場の方がよほど面白かった、なんて記憶と見事にリンクしたんです。

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最初の出会いはただの通りがかり。カフェの閉店を知らせる張り紙に「こんな町家を借りれたらいいなぁ」と思ったのを覚えています。最寄りの不動産屋さんに聞いてみて、そちらが扱われていることを知り、そこから話は進み、借りられることになったのでした。

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大徳寺では各塔頭それぞれ、斬新な枯山水庭園や茶室を有しています。訪れる人も限られているためじっくりとお庭と相対し思いを巡らすのも良いかと思います。

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レトロな雰囲気の残る新大宮商店街では、着飾らない普段着の京都の生活を垣間見ることができます。

 

4. 結ばれるご縁 ~リノベーション~

 茶道といえば、ただお茶を飲むだけではない、建物の設えや庭、絵、書、生け花などの飾りつけ、香り、亭主の立ち振る舞いなど、ありとあらゆる手段でお客様の五感を活性化しもてなす、日本文化の集大成ともいえる空間芸術です。ゲームだったりアニメだったりというポップカルチャーも日本の素晴らしさのうちではありますが、その根底にある『手抜かりなく統一された繊細で美しい世界観』というのは、やはり茶道に通じているのではないかと思います。

その茶道の本場である大徳寺のお膝元、しかも茶道教室だった町家と自分の誕生日に結ばれたのは、本当に不思議なご縁に導かれたというか、強く願えば叶うというか、なんだか目に見えない力を感じました。大げさに言えば、『自分たちに伝統的な日本文化を世界に発信する役目を託していただけたんだな』という。

 そんな運命の流れに身を委ね、あるいは運命の糸を必死につかみ手繰り寄せていると、また新たなご縁を得るから不思議なものです。

 宿のハード面で言えば、ふらっと散歩してるときに出会い友人となった若い設計士さん、大工さんと左官さんに、改装工事を請け負ってもらえることとなりました。工務店や設計事務所を一切通さず、自分たちも現場に通い、職人さんと相談を重ね、改装を進めていきました。おかげで時間もかかりましたが、費用以上の仕上がりになり、何より他の宿にはない個性を打ち出せたと満足しています。

 ソフト面での運命的な出会いもありました。お泊りのお客様をご案内するため下見に訪れた大徳寺塔頭の瑞峯院さんで、なんと和尚様がたまたま自ら拝観受付に座っておられ、『あんたら何処から来たんや?』とお声がけいただいたんです。で、これこれこういう理由で、近所で宿屋を始めるんです、という話をすると『では、うちで茶道の教室やってるから習いに来なさい!』と。

茶道の聖地にある、もと茶道教室で宿を始めるのに、茶道の心得など一切なかった自分にとって、それはもう願ってもないお話で、すぐにその教室に通うことといたしました。実際のところ、宿にてお抹茶をウェルカムドリンクとしてお客様にお出ししているので、それだけでもうお稽古に通う甲斐があったというものなのですが、それにも増して、庭師さん、お茶屋さんを始めとする、おいそれと知り合うことができないような方々と知り合うご縁を得たことがありがたかったです。

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空き家を探しに夫婦で散歩をしているときに出会ったのが設計士、大工、左官をしているお三方。それをきっかけに彼らの町家改修をちょくちょく見学に行くようになり、仲良くなり、最終的に一緒のアパートに住み、私たちの町家の改修もお願いすることに。

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元々「へうげもの」という漫画の影響で興味があった茶道に縁があり和尚様からのお誘いで始めることに。今でも毎週練習に通わせて頂いております。

 

5. 京町家コテージkarigane ~創業~

 およそ9か月、建売住宅なら3軒完成するであろう長い時間をかけて、ようやく自分たちの宿の改装は完成しました。

 屋号は『京町家コテージkarigane』です。kariganeには二つの意味があります。まずは雁(かり、がん)の万葉言葉である『雁が音(かりがね)』です。自分たち夫婦は、渡り鳥のように世界を旅していたから、また、世界各国から旅鳥のようにやってくるお客様にくつろぎの空間を提供したい、という思いを込めて、雁から名前を取りました。

 そしてもう一つは『かりがね茶』です。『かりがね茶』とは、茎を使ったお茶の事で、茶葉を買うより安い、要するにお茶のアウトレット品なんです。ただし、上質なお茶の木から採れる茎は、やはり上質で美味しいんです。老舗の高級旅館のようにはいかないかも知れないけれど、上質な日本文化をお手頃な価格で楽しんでいただきたい。そういう願いを込めて、『karigane』という名前を選びました。

 スタイルとしては、一日一組限定の貸切宿です。山奥の保養地ではないけれど、プライベートで、できることならホッコリした空間を想起していただきたいという願いから、『京町家コテージ』と付けることにいたしました。

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改修後の町家。深緑色の暖簾と丸い窓が目印です。

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京都は伏見で採れる青い浅黄土の土壁に、琵琶湖の皮付葦を使用したよしず天井。炉が切られた畳は茶道教室の名残。

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できる限り日本の古来の建築方法、そして建材を用いて、丁寧に改装しました。

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キッチンもついていますので、旅先で出会った新たな食材を調理するのも◎。

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お宿の自慢はヒノキとタイルのお風呂。湯船の中から京都観光もできます。

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2階は4.5畳と6畳の寝室で5名までお泊り頂けます。

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自転車もレンタルしているので、観光地へは渋滞も気にせず、自転車にて軽快に。

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夜部屋中央の照明をおとして部分的に明かりを灯し、陰影を楽しむのが好きです。京都の料亭にて仕出しを頼んで夜は町家でしっぽりと飲む、というのもお勧め。皆様のスタイルでのご滞在をお楽しみくださいませ。

 

6. ビジョンとゴール ~目的と目標~

 

 そんなこんなで、正式オープンより4か月が経ちました。

 オープン直後に稼働率100パーセント!みたいなセンセーショナルなことにはなってませんが、少しずつお客様からご予約もいただけるようになり、夫婦二人なんとかやって行けています。

 僕は、いつも大それたことを言いますが、本人としては全く正気で、京都で宿をすることは世界平和につながってると思うんです。なので、宿屋することで世界を平和にする、というのがビジネスの目的であり目標です。

 自分たちは、40を超える国をひとつなぎに旅して、どの国に対しても愛おしく思い出される出来事や出会いがあります。ボッタクられたり、ちょっと危ない目にあったり、アジア人蔑視にさらされたりもしたけど、それらも今は笑い話です。『観光』って、そういう素晴らしい力を秘めてると思います。

 歴史的経緯とか政治問題、教育方針なんかで、日本という国が嫌いという方もいらっしゃるでしょう。でも、kariganeでの滞在は楽しかったな。日本人てのはいい奴だな。そういう方が一人でも増えれば、戦争とか憎しみあいは減ると思うんです。もっと話を大きくすれば、そんな日本式の『おもてなし』が世界中に広がって、観光産業の経済効果が軍需産業のそれを上回れば、戦争を始めるメリットがなくなるはずだ、と。

 そういう気持ちで商売することで、もし世間様に認められて儲かったならば、日本の伝統建築や街並みを保存するために、町家を利用した事業を起こしたいです。もちろん、営利目的です。重要文化財とかに指定されても、月並みな事業しか行えなくて、誰の興味も引けず、保存というより飼い殺しみたいになってしまう、というのが実感です。自分たちの経験から言えば、ギリシャのサントリーニ島とかモロッコのシェフシャウエンのように、街全体に統一感があったほうが感動します。ただ、そんな僕の理想に反して、京都の町家はつぎつぎに破壊され、何の味気も色気もない鉄骨・鉄筋コンの建物や駐車場に変わってるのですから。

 今は、一日一組限定の宿を、ただ一軒。日本の文化を未来に受け継ぎ、日本らしい街並みを保存し、世界を平和にするため、全力でお客様をおもてなししています。京都の町家で宿泊体験してみたい、という方がいらっしゃいましたら、ぜひ京町家コテージkariganeにいらして下さいませ。

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夫婦ふたり、皆様のお越しをお待ちしております。

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