1年5カ月の旅で、主にこんな遺跡や聖地に行きました。
コパン、ティカル、トゥルム、ウシュマル、チチェンイツァ(中米マヤ文明遺跡)、ラリベラ(エチオピア)、イスタンブール(トルコ)、エフェス(トルコ)、アテネ(ギリシャ)、メテオラ(ギリシャ)、ゲガルド修道院(アルメニア)、シラーズ、ヤズド、エスファハン、マシュハド(イラン)、ヒヴァ、ブハラ、サマルカンド(ウズベキスタン)、莫高窟(中国)、始皇帝陵(中国)、東チベット(中国)、4大仏教聖地(ネパール、インド)、ゴールデンテンプル(インド)、タージマハル(インド)、パンピ(インド)
世界一周してる旅人のブログを見てると、だいたいみんな、どこかのタイミングで遺跡とか宗教施設に飽きちゃうみたいなんですね。で、日本ではやったこともなかった山登りにハマったり。それってもったいない。自分たちは元から山旅がメインでしたが、それでも最後まで遺跡とか聖地に行き続け、飽きる事はありませんでした。
山登りは、辛い思いをした後のご褒美に美しい景色を見れる、達成感がある、だから楽しい。遺跡とか聖地を巡るのが、どれも同じに見えて退屈に感じる時期はある。けど、それは森に視界を遮られた辛い上り坂と同じ。退屈を乗り超えて、細かいニュアンスの違いとかに気づけるようになったら、やっぱり楽しいんですよね。だから『〇〇遺跡はガッカリだった』みたいな文字を見ると、本当に悲しくなります。『自分の感受性の鈍化を、遺跡のせいにしないでくれ!』と思います。確かに、生命維持装置のような鉄骨むき出し屋根に囲われた遺跡とか、センスの欠片もないコンクリート製の聖地に、興がさめるのは事実ですが、見るべきところはそこではない。山登りが楽しいだけでなく体のエクササイズになるのと同じで、感受性のトレーニングのためにも、遺跡や聖地を巡るのはオススメです(前置きが長くなった)。
人の個性と同じで、美しい景観にランク付けすることはできませんが、世界一周婦人と俺でそれぞれ3つずつ、お気に入りの遺跡や聖地を選んでみました。
<世界一周婦人的遺跡、聖地>
①カッパドキア(トルコ)
カッパドキアは、キノコ型をした不思議な岩が乱立する谷をトレッキングしたり、気球を眺めるだけでも十分楽しいです。しかしあえてこのカテゴリで語るのは、ここがかつて、イスラム教の帝国の中にあって、キリスト教徒の人々が身を隠すように住んだ場所だから。キノコ型をした岩に穴を掘って住んだり、2万にもの人が住める巨大洞窟を作ったりしたのは、迫害を恐れたが故。そういう風に思って見ると、なおさら感慨深いんですよね。
②イランのイスラム教建築
旅を通して色んなイスラム教の国を訪れましたが、イランで見たモスクやメドレゼが最も印象に残っています。外側は精緻なタイルワークで覆われ、内側はまるで万華鏡のように細かな鏡が全面に張り巡らされている。そういった装飾的な意味でももちろん凄かったんですが、そこで祈りを捧げる人々の姿になおさら圧倒されました。
あと、イスラム教建築ではありませんが、ペルセポリスも良かったです。はるか昔からペルシャ人(イラン人)は手先が器用だったんだなって分かります。
③始皇帝陵(中国)
前方後円墳とか、古代の権力者のお墓は日本にもたくさんありますが、これはその最大規模のもの。なおかつオリジナル?
スケールも凄かったんですが、例の陶器の兵士像、あれ、一つ一つ表情が違うんです!粘土を型押しして作ってるんじゃないんです!2000年以上も昔なのに、なんちゅう技術力!日本のハニワとは月とスッポンです!
それにしても偉大な男は死ぬのも一苦労ですね。自分なら、あんなお墓は御免こうむりたい。間違っても中国統一などしないよう気をつけます。
<俺的遺跡、聖地>
①ゲガルド修道院(アルメニア)
シリア、イスラム国を巡って各国の思惑が複雑に絡まりあった中東情勢。我々が旅した期間は、ちょうどそれが悪化の一途をたどり、フランスはパリでテロが起こり、トルコがロシアの戦闘機を撃墜するなど、もはや世界戦争が始まる一歩手前なんじゃないか?という不安さえ頭をよぎりました。
アルメニアという国、あるいは民族を知ることは、この問題を身近に感じるきっかけとなりました。なんでトルコとロシアの仲が悪いのかとか、逆になんでイランとロシアの仲が良いのかとか、今はあんまり不思議に思いません。
んでここ、ゲガルド修道院。自分がここを選んだのは、キリスト教の修道院なのに、イスラム文化っぽい建築装飾をしてるんですよね。つまり、現代では対立構図をもって語られることが多いイスラム教とキリスト教が、互いに尊重しあって共存していたんだなって、ここに来たら確信出来たんです。世界の平和を願って、たくさんの人にゲガルド修道院へ行って欲しいなと思います。
②東チベット(中国)
東チベットと呼ぶのか、それとも西四川と呼ぶのか。正直どっちでも良いじゃん!って思いますが、これまた一筋縄にはいかない歴史がそれを許さない。
自分なりに色々と勉強してみたけど、もう、むずかしくって、こんがらがって、どうすればいいかわからなくなったから、ラマ(チベット仏教の高僧)に思い切って聞いてみたんです。『世界が平和になるために、自分たちはどうしたらいいんですか?』と。そしたら『美しい心を持ちなさい』との答えが返ってきました。
③リシュケシュ(インド)
じゃあ、どうやったら自分の心を美しく保つことができるの?仏教や、仏教のバックボーンにあるヒンドゥー教は、そのための具体的な方法も用意していてくれました。それが『ヨガ』です。驚愕!欧米社会では20世紀になってようやくフロイトやユングによって提起された心の問題に、インドは何千年も前からアプローチし続け、既に解決策まで見つけていたなんて!
近代科学的実験に基づいて検証した、同じ条件さえ整えれば誰もが再現可能な現象以外は真実ではない、という立場の人からすれば、プラーナをチャクラでコントロールして…何てことはカルトにすら思えるでしょう。でも、例え実験論文なんか残ってなくても、長い歴史の中で多くの人が取り組み、手探りながらも見つけ出したヨガは、真実として信頼するに足る手段と思います。漢方薬と同じで、もっと世界から評価を受けても良いんじゃないかな。
<他にも行ってみたいポイント(備忘録)>
バチカン市国、メッカ(サウジアラビア)、イスラエル